2017-01-01から1年間の記事一覧

八町山1

5月に行った八町山に再び行ってきた。その時は,林道を辿ってから南西側から登頂した感じたが,今回は,南東側から歩いた。 富士川町の八雲池公園から始まる林道を7分ほど歩いて山道に入った。 山道に入ってから10mほど入った所から八町山と思われる山…

銀杏と鈴懸の黄葉

11月1日の画像だが,勤め先にある銀杏と鈴懸がきれいに黄葉していた。銀杏は,11月中旬に黄葉の最盛期を迎えたので,黄葉の期間が長いと言えよう。

安倍山系での歴史探訪20-賤機山稜の古墳

時代のうえでは照会が全く逆になってしまったが,安倍山系には古墳が点在する。 賤機山稜の南端近くに古墳がある。浅間神社の一角とも言える場所なので,多くの人の目に触れている古墳である。

安倍山系での歴史探訪19-石部トンネルの遺構

東海道本線にある石部トンネルは,60年ほど前に付け替えられている。その旧トンネルは,日本に数ある鉄道遺構の中で最も凄まじい所という意見がある。

おんすしところほうらい156-すずきの白子

2回に一度は,新しい物が出てくる。見た目は,あんこうの肝に似ているが,時期が違う。これも美味だった。

おんすしところほうらい155-巻き物の5分割

鉄火巻き・かっぱ巻き・梅紫蘇巻きなどは,6分割するのが普通だ。 干瓢巻きは,それに対して4分割。 以前から「干瓢巻きを6分割したらどんなだろう?」と思っていたので,そのことを主人に伝えたら,まず半分に切ってから,片方を2分割,片方を3分割に…

安倍山系での歴史探訪18-歩道橋

静岡駅方面から日本平へ通じる日本平パークウェイに歩道橋がある。いったい誰が使うのだろうか。 現在では「遊木の森」という体験施設を利用する人たちが使うだろうが,造られた当時は,そうでなかった。 歩道橋の右方向の麓には,駿河湾沿いにいくつかの集…

安倍山系での歴史探訪17-B29墜落

前回はB29の爆弾だったが,今回はB29の墜落である。 浅間山の頂上にそのことを刻んだ石碑がある。今回もこの辺りを調査した頃は,デジカメをまだ持っていなかったので写真が無い。

四等三角点「奥山南」

粟ヶ岳に行った日の当初の目的地は,八高山か大尾山だった。理由は,近くに四等三角点「奥山南」があるからだ。朝から雨が降っていたので,粟ヶ岳にしたのだが,下山してから「奥山南」に向かった。 車の径路は,粟ヶ岳登山口~上松葉~庄司~口丹間という具…

困った時の粟ヶ岳

毎月少なくとも一度は山行をすることにしている。しかし,10月は,1日が祭準備の立ち会い,7~9日が祭当日と片付け,14~15日と21~22日がいずれも雨。28~29日も雨の予報が出ていた。しかも,山歩きと同様に毎月に課している三角点も未確…

おんすしところほうらい154-熟成させた鰤

3週間ほど寝かせて熟成させた鰤が出た。これは,その切り身。 上の切り身の左の断面が下の写真である。これをまず厚さ2センチほどに切ってから寿司にしてくれた。 周りの使えない部分すべて切り落として出された寿司がこれ。つまり,厚さ2センチほど切っ…

大井川鐡道での訓練

珍しい記事が載ったが,記事の内容よりもどの車両を使ったかに興味がいった。この座席は,南海ズームカーである。

安倍山系での歴史探訪16-B29の爆弾

②の道の途中にB29の爆弾が落下したことが書かれた地点がある。その場所を調査した頃は,デジカメを持っていなかったので,紹介する写真が無い。

安倍山系での歴史探訪15-徳富蘇峰

明治から昭和に掛けて活躍した思想家の徳富蘇峰が,昭和10年に日本平付近で富士山の展望に優れた4地点を選び,そこには「〇〇台」と刻まれた石碑が建てられた。 日本平の頂上にあるのが吟望台。 吟望台の50mほど南にあるのが鍾秀台だが,現在は藪の中…

おんすしところほうらい153-玉子焼き

玉子焼きは,それだけで出されることが多いが,珍しくしゃり入りで出された。

おんすしところほうらい152-金目鯛のすなずり

通い始めて15年ほどが過ぎたおんすしところほうらいだが,今だに初めて出される物がある。先日に出されたのは金目鯛のすなずり。腹の下の中央部分で,1匹から2きれ程度しかとれないという。 食べてみて3種類の味を楽しめた。

永世七冠

前日に類する話題である。 20年以上にわたって将棋界で活躍してきた羽生棋聖ならではのことで,これを達成すれば国民栄誉賞という噂がある。この噂は,羽生さんがこの偉業に以前に挑戦した時から出ているものだが,その時は,七番勝負で3連勝の後に4連敗…

七冠に復帰

10日ほど前の話だが,囲碁の井山九段が七冠に復帰した。 将棋の羽生棋聖でもなし得なかった偉業である。 仮に私に将棋か囲碁の才能があっても絶対に無理である。それは技術の話ではなく,精神面からである。将棋と囲碁のタイトル戦は,1日制では2泊,2…

安倍山系での歴史探訪14-木和田川の堰堤群

宇津ノ谷峠の程近い場所に木和田川に明治時代に造られた堰堤群があり,日本の登録有形文化財として登録されている。

安倍山系での歴史探訪13-徳川家康5

徳川家康の亡骸は,すぐに久能山に運ばれ,久能山東照宮が建立された。

戸の開閉ボタン

最近は,乗降口の戸を乗客自らが開いたり閉じたりできる車両が増えている。 まずは,E127系の中。 E231系は,上と同型だった。 313系の外。 313系の中。 キハ25系の外。 キハ25系の中。 233系の中。

安倍山系での歴史探訪12-徳川家康4

花沢山の南西に徳川家康が鷹狩の時に腰掛けたという言い伝えがある旗懸石(鞍掛石)がある。 そのすぐ西には四等三角点「石脇下」がある。 これらの場所は,東名高速道路の日本坂PAに近いので,そこに駐車して訪れることができる。

安倍山系での歴史探訪11-徳川家康3

静岡市の中心部と静岡市の北西部にある井川地区との間に井川峠がある。そのすぐ西側に「お茶壺屋敷」がある。 徳川家康に献上する井川地区のお茶を保存するための倉庫だったようで,以前は,「お茶壺屋敷跡」だったと思うが,現在では建物が再建されている。

町に因むもの2

2つ目のものは,人形である。 この町には1849年にこの地で急逝した三代目尾上菊五郎の墓がある。 六代目尾上菊五郎は,「鏡獅子」が得意演目だったようで,代は違うが,尾上菊五郎つながりということで,この人形が新調された。

町に因むもの1

10日ほど前に行われた祭では,その町に因むものが2つ披露された。 1つ目は,天幕の刺繍。この町には江戸時代には鷹匠がいたということである。

高積雲

秋の楽しみの1つに雲があるが,ようやく見事な高積雲が現れた。

他のすし屋

10月2日に紹介したすし屋とは違うすし屋だ。並の握りだが,かなり豪勢な感じがする。 続いて注文したのは,左下から穴子・小肌・子持ち昆布。上の握りと合わせて2100円。

おんすしところほうらい151-特別な蝦蛄

主人が「変わった蝦蛄」と言って見せてくれたが,普通の蝦蛄を見た経験が無いので違いがわからなかった。主人が「首と胴の間がくびれている。」と教えてくれた。蝦蛄は,海老の仲間で,海老にはこんな形をした物は無い。 主人が「手の形も違うでしょう。こん…

安倍山系での歴史探訪10-徳川家康2

徳川家康が豊臣家を滅ぼすために難癖をつけた方広寺鐘銘事件で,豊臣家は,家康の怒りを鎮めるために片桐且元を駿府に派遣した。その時に滞在場所として指定されたのが徳願寺は,駿府城をはさんで安倍川の西方の高台にあるため,片桐且元は,「家康を見下ろ…

安倍山系での歴史探訪9-徳川家康1

臨済寺は,徳川家康が今川氏の人質になった時に指南役の大原雪斎がいた寺として知られている。 下図には,臨済寺そのものは描かれていなくて申し訳ないが,左の臨済寺バス停から北北西へ延びる道の突き当たりにある。 蓮永寺には,徳川家康の側室のお万の方…