安倍山系での歴史探訪10-徳川家康2

 徳川家康が豊臣家を滅ぼすために難癖をつけた方広寺鐘銘事件で,豊臣家は,家康の怒りを鎮めるために片桐且元駿府に派遣した。その時に滞在場所として指定されたのが徳願寺は,駿府城をはさんで安倍川の西方の高台にあるため,片桐且元は,「家康を見下ろすことになる。」と思い,滞在場所を誓願寺に変更した。
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 徳願寺に程近い円山花木園から見た駿府城方面。片桐且元の選択が適切だったことが窺える。中央左は八幡山,中央右は有東山,奥は日本平
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 片桐且元は,後に徳川家康の臣下となり,誓願寺には,片桐且元の墓がある。
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