夜行急行「信越高原号」

 1988(昭和63)年7月に妙高山火打山に行った時に乗った夜行急行が「ちくま」だと思い込んでいた。しかし,当時の時刻表を見ると臨時の夜行急行「信越高原号」だった。完全に記憶の底に沈んでいた訳だ。
 「信越高原号」は,前年まで運転されていた電車による臨時の夜行急行「赤倉」のスジを転用していた。
 その時は,日曜の乗車だったので,かなり混んでいた記憶があるが,「三等寝台」をした記憶は無い。松本でかなりの客が降り,長野より先の快速時にはがら空きだった。

 火打山とその手前に広がる天狗ノ庭。日本で最美の場所の1つだろう。
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 火打山から望む妙高山
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 そして,その8日後に再び夜行急行「信越高原号」に乗った。行き先は御嶽山
 車両は,12系+20系寝台。12系客車に乗ったのは,この2度だけという貴重な体験だった。駅を出る時に連結器が動く衝撃が伝わることを感じた。子どもの頃の旧客でもそういうことがあった筈だが,その記憶は全く無い。
 アルバムの説明にもあるように,月曜日の運転なのでがら空きだった。「信越高原号」は,何年もしない内に運転期間が確かお盆を中心にした短期間になり,やがて消えていった。
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