小笠山への主稜線に合流した。
中央左辺りが掛川駅付近。
ここは綱が無くても問題無いが,こうした綱が心強い場所もある。
小笠山頂上
六枚屏風に行くことも目的だった。
六枚屏風がどこまで行けるかを調べていなかったので,歩きにくくなった所で引き返したが,後で調べたら小笠神社方面へ抜けられるようだった。
後は,来た道を順調に引き返した。この山行で出会った人は,15人だった。
コロナ禍とあって遠くに出掛ける気になれず,「困った時の粟ヶ岳」でなく,小笠山にした。
道は,11年ぶりの与左衛門池からを選んだ。
与左衛門池の15mほど手前に四等三角点「南西郷」への登り口と思われる場所があった。
与左衛門池の外れで左へ入るように示されていた。11年前は,直進方向の林道から来た。
左へ入ってすぐに右の尾根への道(画面右端の坂道)があったが,そちらへの道標が無かったので,沢筋を直進してみた。しかし,すぐ先にある二俣でどちらも進もうと思えば進めるようだが,前述の道を行くことにした。
丸太階段が続いていたが,この場所に道標が欲しい。
尾根を登って与左衛門池の外れで別れた林道を横切った。11年前は,この林道を右へ下って行った。今しがた歩いてきた道は,11年前には無かったのか?
よく整備された道にはこうした柵もある。どれだけの手間が掛かったことだろう。
両側が切れ落ちているが,これだけの道幅があれば,柵が無くても恐怖心は無いだろう。
京葉線には,高谷支線と二俣支線という2つの支線がある。いずれも過去に往復を果たしているが,本線と組み合わせてはいない。
前回に紹介した蘇我までの途中,あるいは東京に戻る途中に2つの支線の完乗を組み込むめば時間のうえでかなりの節約になるが,本線の完乗をしてからでないと気が済まない性格なので,東京駅から改めて出発になった。
西船橋まで乗ってから市川塩浜まで戻り,高谷支線の往復が完了。
次の電車までに時間が15分ほどあったので,駅の撮影をした。西口
東口-西口とほとんど同じ構えに驚く。
実は,東海道本線での列車が遅れた影響で行程が30分ほど遅れていて,気分としてはかなり焦っていた。
南船橋まで乗り,二俣支線の往復を完了させるために西船橋方面へ乗り換える。