裸婦女医彗星-彗星の命名法

 アイソン彗星の崩壊について書いた時にラブジョイ彗星についても触れた。2ちゃんねるでは「裸婦女医彗星」と書く輩もいるが,言い得て妙ではある。
 今回のラブジョイ彗星は,最大光度が4等級程度だが,2年前の今頃に出現したラブジョイ彗星は,まさに大彗星となった。写真は,インターネットで拾った。
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 「アイソン」「ラブジョイ」は,いずれも発見者の名前である。彗星が同時期に多人数によって発見された場合は,ホワイト・オルツ・ボレり―彗星,小林・バーガー・ミルロン彗星という具合に,発見順に最大3人までの名前が付く。しかし,多胡・本田・山本彗星の場合は,第一発見者の板垣公一氏の報告が遅れたために,名前が冠せられなかった。
 池谷薫氏と関勉氏によって発見された池谷・関彗星が2つあるが,もし発見順が逆だったら,片方は,関・池谷彗星となっていたことになる。
 ハレー彗星は,その周期を発見した天文学者の名前が付けられた。
 ペルセウス座流星群の母天体はスイフト・タットル彗星,しし座流星群の母天体はテンペル・タットル彗星であり,何とテンペル・スイフト彗星もある。いや,あったと言うべきか。
 というのは,1869年に発見されたテンペル彗星が,1880年にスイフトによって再発見されて,テンペル・スイフト彗星になった。しかし,1900年代の初頭を最後にして行方不明になり,2001年にようやく再発見されてテンペル・スイフト・リニア彗星となったからだ。
 周期120年と考えられていたスイフト・タットル彗星も,帰って来ると思われていた1982年頃には発見されながったが,1992年になって木内氏が再発見し,スイフト・タットル・木内彗星となった。
 このような例は,他にもあり,りゅう座流星群の母天体であるジャコビニ・ジンナー彗星もその1つだ。