行きは「しなの」,帰りは「あずさ」

 同行者がいたので,掛川から新幹線になった。「しなの」は,篠ノ井線に乗り入れるもので,山行記に「381系が来てがっくりした。風情はあるが,乗降扉も1箇所しか無くて不便で,内装が古いからだ。」と書いてある。
 白馬駅から八方まではバスに乗り,そこからリフトの類を3つ乗り継いでその日の宿に入った。
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 帰りは「あずさ」である。飛び乗った感じのバスの中で時刻表を見たら,その日の内に帰宅するにはそれしかなかった。「その日の内」と書いたが,実際には次の日付になっていた。
 切符を自動販売機で買ったのは,みどりの窓口に並んでいると乗り遅れてしまうからということと,電車に乗ってから時刻表を改めて見ると他の展開も考えられるからだ。
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 この時の山行は,八方尾根~唐松岳五竜岳鹿島槍ヶ岳針ノ木岳蓮華岳扇沢
 五竜岳鹿島槍ヶ岳は,1986(昭和61)年以来14年ぶりだった。いずれも深田百名山であり,それを狙っている登山者が,五竜山荘と種池小屋にたくさんいて,話すことは百名山狙いの話ばかり。
 そうした人の中には,五竜岳を北側から,鹿島槍ヶ岳を南側からそれぞれ往復して達成している人も多いようだが,それらの山に対して失礼な気がする。確かに両山の間の岩稜が厳しいという事情はあるかもしれない。
 種池小屋から先の稜線にはそんな人たちとは違って,心の底から山歩きを楽しむ人がいると思って歩みを進めた。その通りだった。
 鹿島槍ヶ岳を過ぎる頃から足の裏に豆ができてしまい,種池から下山したい気持ちはあったが,蓮華岳まで気力で行った。
 下山後10日過ぎても豆が痛かった。