石標があった。左に倒れているのが古くからの物で,これは,昭和か平成になって作られたと思われる。
右の標柱に「夜泣き」という文言がある。火剣山の1kmほど北方を通る東海道に「夜泣石」と呼ばれる石がある。それになぞらえて考えられたものだろう。
目指す火剣山がちらっと見えた。
この風景を見て,昭和62年にこの道を歩いたことがわかった。その時は,東富田ではなくて西富田からだったので,どこかでこの道に合流したことになる。
それはともかく,4~5月の新茶の時期には,さぞかしきれいな風景になるだろう。
自動車が利用可能な畑が開墾されて便利になったことだろう。
古い地形図では,この辺りを送電線が通っていた。鉄塔を撤去するにあたり,道具置場にするために地元の方が土台近くを残してもらうように頼んだのだろう。
この類の標識を数多く見てきたが,「銃猟」という文言を見たのは初めてだ。